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阪神大震災の記憶 [日記]

あれからもう15年なんやね。当時、兵庫県の尼崎市に住んでたんで、ものすごい揺れと
本棚や家具が倒れる壮絶な音の中で、最初は何が起こったのかすらわかりませんでした。
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幸い家族に怪我もなく、築20年の中古住宅も、壁にヒビが入った程度で倒壊を免れました。
うちは水道はアウトでしたが、電気は直後も使えてたんで、テレビでヘリ映像のを見て、
改めて事の重大さを認識しました。あの早朝の揺れは当然やけど、その後も延々と続く
余震の方がきつかったです。夜、余震の都度、起きるんでストレスが貯まりまくりです。
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今は横浜に住んでますが、関東は関西に比べて有感地震が多く、転勤当初は怖かったです。
でもだんだん慣れ、危機意識も薄らいでいるのが現実。これではあかんやろと思います。
犠牲になった6000人以上の人の死を無駄にせんためにも、しっかり意識せなあかんよね。

今朝は各地で追悼行事が・・・。犠牲者の皆さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
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cjlewis

この日、私は神戸出身のカメラマンと都内のスタジオで撮影だったんで、よく覚えてます。このころ、付き合いはじめたばかり人の実家が川西で、正月に遊びに行ってきたばっかってこともあり、とりあえず、撮影は、お互い、大切な人の消息がはっきりわかってから始めましょって、午前中は仕事をせずに電話しまくってました。電話がぜんぜん繋がらなくて、撮影を開始したのは、昼くらいだったのを覚えています。
翌年、仕事で神戸に行く用事があり、旧知の芦屋在住のカメラマンに仕事を依頼したんですが、仕事が終わった後、震災直後、記録のために撮影したいう1000枚近くにおよぶ写真を見せてもらい、そこに写っている場所がどのように復興したか、クルマで案内してもらいながら、リアルなお話をいろいろ聞きました。
もう15年なんですね。
犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。

by cjlewis (2010-01-17 13:18) 

カズイチ

この日の朝、鈴鹿で地震に遭いました。
そして仕事帰り車のラジオで事の重大さを知りました。
改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
by カズイチ (2010-01-17 15:42) 

CountryBoy

よーちゃんさんは尼崎に住んで居られたのですか・・・。
私の家は全壊でした・・・。近所でも沢山、亡く成られました。
あの当時は皆本当に助け合いながら生活しました。
電気も水道もガスも止まり大変でした。
道路もずたずたに寸断され、車も通れない状態でした・・・。
当時、息子は神戸大学に在学中で、地震の前日、友人の下宿で麻雀をして
帰宅しました。その友人は下宿が倒壊し亡くなり、多くの神戸大学の学生がこの地震で亡くなりました。
by CountryBoy (2010-01-17 18:59) 

のぶたん

すごい経験をされたんですね・・・。

あの日は前日からの当直でまだ仕事中でした。
沿線へ最初の便を送り出し、つかの間の休憩。
次便の運転手さんが、「さっき地震有ったよね・・・」
関東では、動いていれば感じないほどの揺れでした。
その後の休憩時間に観たTVでその惨事にびっくり・・・

もう15年も経ったんですね・・・
改めてご冥福をお祈りいたします。
by のぶたん (2010-01-17 19:52) 

よ

私の実家は枚方なので、あまり影響ありませんでしたが、
ボランティアをしている友人の手伝いで、被災後の神戸に行ったとき、
崩壊した街を見て、愕然とした記憶があります。
昨日、「神戸新聞の7日間」というドラマを見て、
いろいろ思い出して、思わず泣きそうになりました。

一時期、被災地の方と知り合うと、地震の時の話をしたものですが、
そういえば、最近あまりしなくなりました。。。
15年という月日の流れを感じてしまいますが、決して忘れてはいけませんよね。
by よ (2010-01-17 20:29) 

ラジ関

もう、15年も経つんですね。
当時私は高3でした。センター試験が終わって初の登校日で、
5時頃から起きて勉強していたら、ゴォォォ~という地響きの後揺れ始め、電気は消え、食器の割れる音が聞こえてきました。
初めはこれが地震とは分からなかったです。
私は東灘区に地震の1年前まで住んでいたので、
友達や友達の両親、先生がたくさん亡くなりました。
私もあのまま東灘に住み続けていたら・・・・
そう考えると、きれい事でなく、本当に彼らの分も一生懸命生きていかないといけないなと思います。


by ラジ関 (2010-01-17 21:15) 

Dad

あの日の前日が営業会議で大阪営業所長が東京に来てまして 会議終わってから軽く飲んで大阪へ帰る彼を東京駅で見送りました。 翌朝のテレビのニュースに仰天して彼に電話 大阪はそれほどでもなかった様子。 今度は川西に住む旧友に電話。 まさにこーちゃんと同じで 建物にそれほど被害はなかったものの水道が使えず大変な思いをしたようです。 でも彼らはまだ良かった。 数千名におよぶ尊い命を落とされた方々のご冥福をあらたに祈るとともに この震災で大きく運命をかえられた残された方々の15年にわたるご苦労とご努力に敬意を表します。
by Dad (2010-01-17 21:36) 

dora

震災の前日の夜、梅田でアルバイトをして、本来なら尼崎の姉の下宿先へ行く予定でした。
しかし、次の日の授業の一部の資料が無いことを思い出し、自宅へ戻ったのが日付が変わったころでした。
眠い目をこすりながら、お弁当の準備を終え、朝風呂に入った瞬間に、
下から突き上げるような揺れを感じました。
おいらは最初、東海地震が起きたと思ったのです。
自宅は、三重と奈良の県境。
東海地震がいつ来るかわからりませんと常々、言われ続けてきた地域です。
が、台所でいた父さまが「東海やない、近畿がえらいことに・・・」と叫びました。
まず真っ先に、尼崎にいた姉様の安否、つづいて友人・知人たちの安否確認に追われた一日でした。
幸い、姉がいた部屋は一階で、玄関の扉は瓦礫で動かなくなっていましたが、裏のガラス戸が外れたので、塀づたいに逃げ、幸いなのか?!当時乗っていたオフロードバイクで、川西にある姉の友人宅に避難して難を逃れました。
姉様と連絡がついたのは、結構早く、当時、まだ高級品だった携帯電話を父さまが持っていたのが、幸いでした。
今、その姉は、地元の女性消防団で活躍しています。
AED上級救命の資格など、防災などの際に役立つ資格などを取っています。
 あれから15年。おいらは、地震の翌日、電車で梅田まで出て、アルバイト先である中華料理屋の片づけをしていました。夕方、線路沿いを歩いて逃げてきたと言うご夫婦が「何か食べれますか!?」と訪ねてこられ、店長が店をあけました。
もちろん、在庫があるだけだったのと、厨房の方が何人か来れていなかったので、ラーメンなどの簡単なモノしか御出し出来なかったけど、お客さんたちは、とても喜んでいたのを今でも思い出します。
忘れてはいけない日1月17日
多くの犠牲者の方のご冥福を祈るばかりです。
by dora (2010-01-17 23:16) 

あき坊

よーちゃんさんも被災されたのですね。
被災された方たちの書き込みは生々しい
ですね。
関東大震災がいつかいつか、と言われていたのに
思いもよらないことでした。
合掌。

by あき坊 (2010-01-17 23:48) 

honeybunny

私は当時中3でした。尼崎市横の伊丹市でしたので、こちらも
ひどかったです。中学校はもちろん1週間お休みに。担任の先生の
自宅が半崩壊し、クラスの皆でお金を集めつかしんに物資を買いに
行ったのを覚えています。先生の涙ぐまれた表情を今でもはっきりと
覚えています。私は本棚が倒れてきたのでその音と振動で起き
ましたが、もう少しで母がテレビの下敷きになるところでした。
お皿などは全部割れた状態でしたが、幸い皆無事でした。伊丹駅が
全壊したのも記憶が残っています。(下に層があるので、立てない
ように、ということだったそうなのですが・・)6歳上の姉がちょうど
成人式でその夜はオールで伊丹駅付近で飲み明かしていたそうです。
本当に無事で良かったです。。

犠牲者の死を無駄にしないためにも、私達は今まで以上に自然に
敬意をはらい、尊重し生きていかねばと思います。自然>人間を
肝に銘じ、好き勝手していてはいけない私達への警告。
たくさんの人の命をうばったのはまさしく自然ですが、その自然が
悲鳴をあげているのは事実で、その原因は、私達人間です。
みんなみんな 繋がっているのだと思います。

私達はアメリカの9・11、そしてハネムーンで訪れたインドでは
スマトラ沖地震も経験しているので、今生きていること、
心から本当に感謝をせねばと思います。また、いつどこで
命を落とすかわかりませんので、1日1日悔いのないように
一生懸命生きていきたいです。


by honeybunny (2010-01-18 01:49) 

hana2009

アップされた写真の数々、迫力があってリアルそのものです。
関東は関西に比べて有感地震が多く、転勤当初は怖かったですって・・・あの地震のトラウマになってしまったのでしょうね。
地震の後も冷静な態度ですごされていた方が多かったとの事ですが、それでも多くの犠牲者が出たのですね。
皆様のご冥福を、私も心からお祈りいたします。

現在は海の向こうの遠い国・ハイチの地震の模様が連日ニュースで流されていますが、天災の後人災もと、思ってしまう映像ばかりです。


by hana2009 (2010-01-18 11:41) 

skimble

こんにちは。scoskiです。
あの、大地震を体験されていたのですね…!
御無事で、なによりです。
本当に、どれだけ大変だったのだろうと、想像するだけでも辛いです。
1月の寒い時期、電気やガス、水道、更には家までも無くなるなんて…。
犠牲者の方々の御冥福をお祈りします。
昨日もNHKで特集をやっていたのを見ました。
記憶を薄れさせない為にもこういう番組は必要だなあと、改めて思いました。
by skimble (2010-01-18 16:38) 

よーちゃん

>cjlewisさん
あの時は、ほんま電話が通じなくなってからは困りましたわ。
朝の地震直後はまだ使えてたんですけどね。
遠くにいて、安否を知りたい人が、連絡がとれなくて悶々とするのも
わかるんですが、無事でいるこっち側からも連絡できないんですよね。
電話がアウトになるだけで、こんなになるんや・・・と実感しましたわ。

>カズイチさん
いらっしゃいませ!コメントありがとうございます。
鈴鹿ですと、そこまで大きな被害はなかったのかな。
兵庫県は当然やけど、大阪もエリアによっては
かなり揺れたようですね。

>CountryBoyさん
全壊だったんですか・・・ ご苦労されたんですね。
当時も西宮だったんですか?
私も知り合いの人がJR甲子園口近くにいたんで、
数日後行ってみたんですが、武庫川を1本隔てるだけで
こんなに風景が変わるのか?!と愕然とした記憶があります。
息子さんを含め、神戸大の学生さんにしても
ほんのわずかの違いで生死が変わるって、非情な現実ですね。

>のぶたんさん
関東地方でも、感じるほどの揺れはあったんですね。
その時、西日本がそんなことになってるとは、わからなくて当然やし
テレビで見て、その落差に愕然とするもの無理ない話ですよね。

>よさん
枚方にいらっしゃったんですか。
私もそのドラマ見ました。
神戸新聞の人たちと熱い気持ちについつい涙が出てしまいますよね。
「のどもと過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の悪い癖は
こと地震対策ではあってはならんことなんやろね。

>ラジ関さん
あの頃は、当然受験シーズンやし、受験生にとっては
精神的にも肉体的にも「なんで今やねん!」と言いたくなるよね。
東灘といえば、かなりえげつなくやられた街。
人間の運命って、わかりませんわ・・・・。
以前、バンドメンバーが癌で亡くなるということに直面したんやけど
そのときも、自分が「生かされている」ということを感じました。
生きて、いや、生かされている自分が、死んでいった人たちの
分までしっかり「生を全うする」べきであると思いました。

>Dadさん
水道や電気など、普段なにげなく使っている生活インフラも
無くなって初めてその重要性に気付かされますね。
でも水道や電気がどうこうより、まさにそのとき、
瓦礫の下敷きになったまま、救助すらできずに
だんだん冷たくなっていく肉親の姿を見守っていた人達のことを
考えると心の痛みがおさまりませんわ・・・。

>doraさん
そうだったんですか・・・。ちょっとした運命のいたずらなんでしょうか。
お姉様もご無事でなによりでした。
地震の数日後は、罹災者と何もなかった人が、街に混在していて
不思議な空気感を漂わせていましたわ。
私はJRより先に復旧した阪急で会社へ通い始めましたが
武庫之荘から乗ったとき、神戸方面から買出し用リュックを持った
被災者の人がいる中で、塚口や十三からはハイヒールの
OLさん達が乗ってくるんです・・・。

>あき坊さん
私は幸いにして「被災者」といえるほどの被害にはあっていません。
本当の地獄は見てないんで、あんまりえらそうな事は言えないんですわ。
でも、そのうち関東や東海地方に大地震が起こっても
おかしくないだけに、不気味ではあります。

>honeybunnyさん
伊丹でしたか・・・。駅も完全にアウトでしたよね。
お姉様も難を逃れられたんですよね。
そういう私も、前の日の夜、高校の友達がやってるエスニック料理の
お店でみんなで飲んでたんですわ。
しかも、場所は、あの被害のひどかった本山です!
ちょっとした時間にずれで生き残った人と死んでいった人が・・・。
上にも書きましたが、やはり今日生きている私は、何か大きな意思、
というか、運命みたいなものに「生かされている」だけやと思ってます。
そしてその生かされている間を全力で生きるべきなんです!
そう思えてなりません。

>hana2009さん
海外のニュースでも地震の話題でもちきりですよね。
でもそんなニュースも、日本では寝転んでテレビで見ているのも
事実ではあります。だからといって自分に何ができるわけでは
ないんですが、「ひとごと」と思って、さらっと見ている自分に
愕然としたりもします。なんか自己嫌悪・・・。

>scoskiさん
テレビの番組は、やはりこういう時は威力を発揮しますよね。
このblogの写真にしても、webから適当に抜き出してきたんやけど
これだけでも、かなりリアルにあの時の記憶が蘇ります。
ドラマでも、ドキュメンタリーでも、やはり節目にはそういう番組も
絶対必要やと思いますわ。


by よーちゃん (2010-01-18 23:48) 

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